ビジャフランカ・デル・ビエルソ (Villafranca del Bierzo)
この地について最も古い記録は、791年ベルムード1世の時代のことで、ガリシアへの再侵入をもくろむイスラム教徒軍とアストゥリアス王のキリスト教徒軍との間で行われた戦闘の地としてである. ブルビア(Burbia)は解放したものの、軍勢は戦闘で壊滅し、王位は甥のアルフォンソ2世に譲られた.
813年のアポストル・サンティアゴの墓の発見後、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼が始まってからは、危険を伴うサンティアゴ巡礼路を行き交う巡礼者をサポートするための、特権を付与された場所の創設が必要とされ、ブルビア川、バルカルセ川とバルボリーニャ川に架かる橋、峠道とともにバルカルセ川の狭い谷の手前に、建設されたとカリクストゥス写本には記されている.